真多呂人形関連の目次ページです。

TOP » 真多呂人形関連ページ

初孫.com

真多呂人形関連の目次ページについて


真多呂人形と木目込み人形

真多呂人形の歴史は、現在から約260年前にまで遡ります。京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重という方が作った人形が木目込み人形の始まりであり、この上賀茂神社からの木目込み人形を正統に伝承しているのが、現在の真多呂人形だけになります。

当時の人形は、鴨川のほとりにある柳の木を使って木彫を施し、溝を切ったり神官の衣裳の端切れ等を使用していたそうです。文化の頃には高橋忠重の孫の大八郎が賀茂人形を作り、大八人形とも呼ばれています。

では木目込み人形という名前はどこから来たのでしょうか。実は2つの説があるそうです。1つは木の目、つまり節に衣装を着せていく方法から、という説と、衣装を人形にきめこむ、という言い方から来たという説です。一部では極め込みという字当てで済ませているところもあるようです。

三代目の大八郎という人は名工として名高い大工さんだったそうですが、現在でもこの賀茂人形はたくさん残されています。明治時代までは時間と手間もかなりかかる制作方法でしたが、人形師の吉野栄吉さんという方が一般庶民にも普及させたいと考え、画期的な手法を考案したそうです。

彫刻から塑像へ、いわゆる原型を発明したわけですが、ここから木目込み人形は大きく様変わりします。つまり木目込みの技術に比重がかかるようになり、衣装がどんどん美しくなってきます。現在では木目込み人形の普及は著しく、雛人形の場合は衣裳人形と半数を分けるほどです。